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【朝礼ネタ】日本三大七夕まつりって「どこ?」「誰が決めた?」
今回の朝礼ネタは「日本三大七夕まつり」。この
「日本三大○○」。よく耳にする言葉です。
これ、「日本一高い」や「日本一長い」や「日本一広い」など、数値化できるものなら、そのベスト3が「三大○○」で納得がいきます。
しかし、誰が決めたか定かでない「三大○○」については、異論を唱える人も多いようで、日本三大七夕祭りもご多分に漏れずその1つ。
では、「日本三大七夕まつり」について、少し詳しく見てみます。
日本三大七夕祭りと言えばどこだっけ?
日本三景『松島(宮城県)・天橋立(京都府)・宮島(広島県)』や、
三名園『偕楽園(水戸市)・
兼六園(金沢市)・後楽園(岡山市)』 と言えば、絶対的三大○○。
問題は、三大○○と言った時、2つまではすぐに出てきても、3番目が曖昧だったり、また、3番目の候補が複数浮かんでしまうような場合。
ちなみに、三大○○と謳いながら、多くの人が決まった1つしか思い出せないようなら、それはその時点で「三大○○」でなく、単に「日本一」の認識で問題ないかとも思えます。
現に、
日本で2番目に高い山と3番目に高い山を正確に言える人。おそらく少数派だと思います。実際に、朝礼ネタや会話ネタとして、誰かに質問してみても面白いかもしれませんね。
(一応、答えは最後に書きました)
日本三大七夕祭りは「仙台」「平塚」「○○」
ウィキペディアによると「日本三大七夕まつり」は、以下のように説明されています。
七夕祭り
仙台市(宮城県)
平塚市(神奈川県)
安城(あんじょう)市(愛知県)
※その他、毛織物生産で栄えた一宮市(愛知県)のもの(「おりもの感謝祭一宮七夕まつり」)を三大七夕祭りに数える場合もある。
※印(注釈)「場合もある」の記述通り、やや微妙な「三大」です。
そこで、同じくウィキペディアにて「安城七夕まつり」を見てみます。
地元では仙台七夕・湘南ひらつか七夕まつりに並び日本三大七夕祭りの一つとかつては主張していたが、2009年より「日本三大」から「願いごと日本一」へとコンセプトを変更。
「主張していた」「コンセプト変更」など、ウィキペディアの記載事項は日々変化します(以前の記述には「コンセプト変更」の文字はなく「主張している」となっていました)。
以下、「安城七夕まつり公式サイト」2014年8月現在の記述より。
昭和29年に国鉄(現JR)安城駅前の本町発展会の商店街振興イベントとして始まった「安城七夕まつり」は、時代の変化とともに、「東海一の七夕まつり」から「日本三大七夕」として、全国に認められるようになり、現在では、「team“LOVE TANABATA”」を中心としたボランティアの方々のご協力をいただき、市民総参加のお祭りを推進すると共に、願いごとに焦点を当てた「願いごと、日本一。」の七夕まつりへと変革を遂げようとしています。
こちらの記述内容も、毎年更新されるようです。
以上のように、そもそもが曖昧な「日本三大七夕まつり」ではありますが、最終的には、いかに街をあげて盛り上がっているか、そして、いかに多くの人々の記憶に残っているか、が重要と言えそうです。
日本三大七夕まつりの歴史
七夕は、江戸時代初期頃に文化向上を目的に、伊達政宗(初代仙台藩主)が奨励したという説があるようですが、詳細は不明とされており、いわゆる「年中行事としての七夕」は、江戸時代中期頃から全国各地で行われるようになり、今に受け継がれています。
なお、「平塚」と「安城」の七夕まつりの歴史は、ともに昭和20年代から。「安城」が商店街の復興目的で始まったのに対し、「平塚」は戦後の復興目的で仙台を模範としてスタート。
そして、七夕まつりの先輩格「仙台」七夕まつりの始まりは昭和2年で、詳細は以下の通りです。
1873年(明治6年)の新暦採用を境にして年々七夕の風習は廃れ始め、第一次世界大戦後の不景気以降はそれに拍車がかかった。
1927年(昭和2年)、この状況を憂えた商店街の有志らによって大規模に七夕飾りが飾られた。すると、大勢の見物客で商店街は賑わった。翌1928年(昭和3年)には旧暦開催を新暦日付の月遅れ(8月6日・7日・8日)に開催することとし、東北産業博覧会と関連して「飾りつけコンクール」も行われ以降、華麗な飾りつけが発達するようになった。このようにして、「七夕」という庶民の風習は「七夕祭り」という昼間の商店街で行われるイベントへ転換した。
日本三大七夕まつりの開催日程
開催日程・詳細については以下の公式ページをご参照ください(地名リンクから公式ページに移動できます)。
・
仙台 8月6・7・8日(固定)
・
平塚 年度により異なり、現在は7月の第一または第二日曜を最終日とする3~4日間開催
・
安城 8月の第一週の週末(金・土・日)
平塚のみ7月開催(例年、梅雨真っ最中で雨が心配される)。
平塚・安城が週末を含めた開催日程なのに対し、仙台は毎年固定日となっています。
朝礼ネタ・会話ネタとしての「日本三大七夕まつり」 ~1番と2番は雲泥の差~
自分の好きなこと、夢中になっていること、真剣に打ち込んでいること。どうせやるなら、1番を目指したいですね。
クラスで1番背の高かったアイツのことは思い出せても、2番目は出てこない。1番面白かったアイツも、1番頭が良かったアイツも、1番スポーツ万能だったアイツも、やっぱり2番目って、なかなか出てこない。
記録より記憶。などとよく言われますが、学校でも、職場でも、地域社会でも、スポーツでも、行事でも、記録と記憶は、結果として連動していることが多いようにも感じます。
人の記憶って、意外にも薄情です。
昨日の晩飯は思い出せても、3日前の晩飯は思い出せない。
意識しない日常の出来事は、すぐに忘れ去られます。
【朝礼スピーチ実例】記憶より記録 ~3日前、何食べたか覚えてますか?~【朝礼スピーチ実例】オリンピックの招致合戦の表と裏 ~1番と2番の大きすぎる差~改めて、日本三大七夕まつり。
現状の知名度は「仙台」「平塚」に軍配が上がりますが、そこに地元の「盛り上がり」や「心意気」を加味すれば、既に不動の知名度を得ている2者よりも、勢いの点で「安城」が勝るのかもしれません。
訪れる方は、その目でぜひ確かめてみてください。
・・・
あ、そういえば、
日本で2番目に高い山。
第1位 富士山 3,776m (山梨県・静岡県)
第2位 北岳 3,193m (山梨県)
第3位 奥穂高岳 3,190m (長野県・岐阜県)
ちなみに、2位~5位まではかなりの僅差。
3位の奥穂高岳。北岳を追い越そうと山頂に石を積み上げるというインチキを図ったこともあったとか。そんな噂もあるようです。
山頂に石を積み上げて標高をごまかす(標高をちょっと盛り上げる)…。
これ「盛り上げる」の意味を完全に履き違えてますが、少しでも上を目指そうとするその「心意気」は、何事においても大事かもしれませんね。
なお、言うまでもありませんが、順位が入れ替わることはありませんでした。
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仙台の七夕まつりが江戸時代からというのはちょっとね。
江戸時代七夕祭りは各地で盛んで、仙台だけが特に盛大だったわけではありません。それをいうならどこの七夕祭りも江戸からの伝統を引き継いでいることになります。歌川広重の有名な浮世絵「江戸百」で「市中繁栄七夕祭」が江戸の七夕を描いています
仙台七夕まつりは商店街振興の行事として昭和3年に始まったもの。有志だけの小規模なものでも昭和2年からの歴史しかありません。
月遅れに実施されるのも伝統のように言いますが、昭和2年には旧暦7月7日に実施。当時は月遅れの風習は少なく。昭和3年も、東北産業博覧会の日程に合わせたもので、それが月遅れと合致し、定着したのです。
青葉城さん
コメントありがとうございます。
青葉城さんのご指摘に基づき、記事を修正させて頂きました。
>仙台の七夕まつりが江戸時代からというのはちょっとね。
江戸時代初期頃、伊達政宗が文化向上を目的に七夕を奨励したという説を「伊達政宗⇒仙台藩主⇒仙台七夕まつり」と、早合点してしまっておりました。
大変失礼致しました。
安城市の七夕まつりも、近年、変革期を迎えているとのことで、そのことも含めて記事全体を見直しましたので、改めてご覧頂けますと幸いです。
今後とも宜しくお願い申し上げます。