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【朝礼ネタ】ジャネーの法則 年をとるほど1年が短く感じる理由
「年をとるほど時間が早く経つ」 それ、ジャネーの法則(ジャネの法則)と呼ばれています
今回の朝礼ネタは「ジャネーの法則」。いやぁ、1年って早いね。あっという間だね。誕生日や記念日、会社の行事等々、何かしらの節目で、誰もが口にしたことのあるセリフではないでしょうか。
年をとるほど時間が早く経つように感じる。言われてみれば何となくそう感じるこの現象を「ジャネーの法則」と呼ぶそう。
ウィキペディア「ジャネーの法則」に、このように記されています。
ジャネーの法則(ジャネーのほうそく)は、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネが著作で紹介した法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明した。
さらに、
簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。
50歳の1年は50年分の1年 < 5歳の1年は5年分の1年ウィキペディア内の記述に対する信憑性や真偽の程はおいておくとして、単純に「なるほど」と感覚的に理解頂けると思います。
時間の早さは、思い出や記憶の濃さ?
まず、
5歳。
個人差はあれど、5歳の頃と言えば、毎日が新鮮。
見るもの、触るもの、やること、成すこと、すべてが初めての経験や出来事の連続。
それら1つ1つが、強烈な思い出や記憶となって心に刻まれる年頃です。
一方、
50歳。
社会というものを一通り経験、理解し、新鮮さや驚きに出会う機会は一般的には目減りするもの。
思い出や記憶に残る出来事が少ないばかりか、過去の類似体験と混同、上書きされがち。
もちろん、個人差は5歳の子供以上に大きいとは思いますが。
・・・
ここで、ジャネーの法則を振り返ると…
50歳の1年は50年分の1年 < 5歳の1年は5年分の1年でしたね。ところが、「現在進行形」で考えると少し見方が変わってきます。
■ 今日、5歳になったばかりの男の子。
■ 今日、50歳になったばかりのおじさん。普段、1日を長く感じがちなのは、何気に後者のおじさんのような気がします。
子供がよく言う「もっと遊びたい」や「もう帰らなきゃいけないの?」
この時、子供は、時間の経過を早いと感じているはず。
大人がよく言う「まだこんな時間かよ」や「この会議なげーな」みたいな。
この時、大人は、時間の経過を遅いと感じているはず。
要するに、その場の時間の経過自体は、単調だったり退屈な生活を送っている人の方が遅くも長くも感じるはずですね。
改めて、ジャネーの法則は、「主観的に記憶される年月の長さ」を指したもの。
「今現在進行している時間の体感速度」ではなく、「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」なわけですね。
・・・
いやぁ、1年って早いね。あっという間だね。とは言っても、
いやぁ、今年も1年早そうだな。とは言いませんからね。
ただ、このセリフ。いわずもがな…
今年も単調だったなー。今年も退屈だったなー。という、
心理的側面が隠れているともとれる以上、あまり人前で連発しない方がいいかもしれませんね。
★「ジャネーの法則(ジャネの法則)」を朝礼ネタとして実際の朝礼スピーチに引用してみる
ジャネの法則ってご存知ですか? ~年を取るほど1年が短く感じるアレです~
50歳になっても、毎日が新鮮。
毎年、1年を振り返った際に、充実感や満足感をしっかりと実感できる、そんな生活を送っていれば、年齢に関係なく、時間は平等に流れるのかもしれません。
そんな大人になりたいものです。自戒の念をしっかりと込めて。
何かの節目、朝礼ネタや会話ネタでも重宝しそうな「ジャネーの法則」。覚えておくといいかもしれませんね。
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今ご覧頂きました『【朝礼ネタ】ジャネーの法則とは? ~年をとるほど1年が短く感じるのはなぜ?~(スピーチ実例つき)』が、お役に立ちましたら、ぜひシェアをお願いします。
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月曜から夜ふかしで紹介されてたジャネの法則を調べてたら、このサイトがいちばんわかりやすかった。
“お名前未入力”さん
コメントありがとうございます。
> いちばんわかりやすかった。
もっと詳しく解説されているサイト様もたくさんありますので、恐縮です。
当記事。「月曜から夜ふかし」で「ジャネの法則」が紹介されて以降、大変多くの方にご覧頂く機会に恵まれました。
改めまして、ありがとうございます。
ポール・ジャネが発案したのに、なぜジャネ“ー”と伸ばすのかは定かではありませんが、当記事内ではウィキペディアを参照したため、「ジャネーの法則」と記述させて頂きました。
最後のところで「1年って早いね。あっという間だね。~・・・・・・・・・・ただ、このセリフ。いわずもがな今年も単調だったなー。今年も退屈だったなー。という、心理的側面が隠れているともとれる」と書かれていますが、その前に書かれている
「要するに、その場の時間の経過自体は、単調だったり退屈な生活を送っている人の方が遅くも長くも感じるはずですね。」
の記述と矛盾してませんか?。
ベジータさん
コメントありがとうございます。
矛盾のご指摘、ごもっともだと思います。
個人的な解釈で恐縮ですが、私は、ジャネーの法則が「今現在進行している時間の体感速度」ではなく「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」を言い表したものであるという部分に注目しました。
そうすることで、「1年を振り返った時にあっという間に感じる」⇒「印象に残る出来事が少なかった」⇒「日々が単調・退屈だった」といった解釈もできると考え、「いわずもがな…」と書かせて頂きました。
少々回りくどかったですね。すみません。
そんな解釈もあるんだな程度に受け流して頂ければ幸いです。
今後とも宜しくお願いいたします。
初めまして。
私も時間の長さの感じ方について、ブログを書いていた関係で読ませていただきました。(もっとも、私のブログは個人的な勝手な仮説なのですが・・・)
「今現在進行している時間の体感速度」と
「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」
を分けて考えられているとのことですが、「今現在進行している時間の体感速度」も期間が短いだけで「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」ではないでしょうか?
会議でいったら「会議の始まりから現在までの時間の長さの感じ方の印象」とかになるのではないでしょうか?
時間の長さを感じるには最低2つの時間的な地点が必要な気がします。
ちなみに、日本心理学会のサイトにこんな記事もありますよ↓
http://www.psych.or.jp/interest/ff-36.html
私の仮説も読んで頂けると嬉しいです(宣伝みたいで恐縮ですが・・・)↓
http://gomahuinu.seesaa.net/article/399602466.html
など。
ゴマフ犬さん
コメントありがとうございます。
早速、ゴマフ犬さんの仮説と日本心理学会の記事、とても興味深く読ませて頂きました。
>「今現在進行している時間の体感速度」も期間が短いだけで
>「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」ではないでしょうか?
ゴマフ犬さんの仰る通り、会議等1つの出来事に絞って比較すると、進行中の印象も終了後の印象もさほど変わらない思います。
こんな感じでしょうか。
会議中「この会議なげーな」
終了後「この会議長かったな」
数日後「あの会議長かったな」(数ヶ月後、数年後も同様)
ですので、1つ1つの出来事をピンポイントで思い出して、「長かった・短かった」を印象付ける場合においては、年齢や年月の経過は関係ないと私も思います。
一方で、「1つの出来事」ではなく、「1年という年月」を振り返った場合は、その1年に起きた1つ1つの出来事すべてを事細かに思い出せるわけではありませんので、長さの印象には個人差・年齢差が現れると思います。
そもそも、ジャネーの法則自体、「主観的に記憶される年月」に言及したものであって、「客観的に」でない以上、ゴマフ犬さんが仮説の中で触れられている通り、科学的根拠に乏しいと言えるかもしれませんね。
あくまで「個人差」「主観的」の部分ですので・・・
仮に、この1年、時間を長く感じる単調で退屈な出来事ばかりだったという人がいたとしても、その人が必ずしも「この1年長かったな」と感じるとは限らず、むしろ、印象に残る出来事が少なかったことで「この1年あっという間だったな」と感じる人もいるということですね。
これが、
> ジャネーの法則は、「主観的に記憶される年月の長さ」を指したもの。
>「今現在進行している時間の体感速度」ではなく、
>「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」なわけですね。
と書かせて頂いた理由です。この理由自体も主観です(笑)
改めまして、ゴマフ犬さんの仮説。
時間の感じ方を専門家の視点から解説した日本心理学会の記事。
とても勉強になりました。
ありがとうございました。今後とも宜しくお願いいたします。
ご返事ありがとうございます。
再び失礼いたします。(もし、ご迷惑でしたら、コメントの承認をされなくても構いません。その場合は察しますので。)
私が言いたかったのは、振り返る時期の違いではなく、例えば、
「ここ一年を振り返る場合は、始点が1年前で終点が現在であり、
現在行われている会議の長さを実感する場合は、始点が会議の開始時などで終点が現在である。」
ということではないかということです。
つまり、この場合はどちらも(終点が現在なので)現在進行形であり、かつ(始点が過去なので)過去を振り返っている、ということではないかということです。
ここ一年という場合に現在進行形というのは変な気もしますが、会議の途中の場合も時間の長さを実感するのは、あくまで過去(過去の1地点から現在まで)についてだと思いますので、そういった意味では両者に差はないのではないかということです。
ただ、店長さんのご返事を見ると、
「ここ一年の方には、一つの出来事ではなく、多数の出来事があり、それらを振り返る。」
ということであり、それらの出来事を詳細には覚えていないということが鍵ということでしょうか?
そして、何かをしているときに振り返るというより、ただ振り返る場合を想定して、その場合は現在を出来事の一つとは考えずに、この場合は「今現在進行している」という表現は使わなかった、ということでしょうか?
そういうことでしたら、その部分については私の仮説でも、概ね店長さんと同意見だと思います。
ちなみに、少しうるさいことを言いますと、出来事が多い少ないというのも、何を一つの出来事とみなすかという意味で主観的であるため、正確にいうと「その人が主観的に判断する出来事の数」ということになると思います。
それと、ジャネーの法則については、単に
「主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価される」
ということではなく、その短くなり方が「年齢に反比例する」という説であって、それについての科学的根拠が乏しいと言いますか、実際にはそこまで極端ではない、という実験結果もあるということだったと思います。(私の意見ではなく、確か、日本心理学会の記事を書かれた一川誠という方の『時計の時間,心の時間』にその辺の内容が書かれてあったと思います。)
ジャネーの法則が「「主観的に記憶される年月」に言及したもの」というのはそれ自体を研究対象としているのだと思いますので、そこは特に問題ではないと思います。対象が主観的なものだからと言って、客観的な実験などができないわけではないと思いますので。(その解釈には主観が入るかもしれませんが、それは対象が客観的なものの場合も同じ事だと思いますので。)
長々と失礼しました。
ゴマフ犬さん
すみません。私の言葉足らずだったかもしれません。
>私が言いたかったのは、~
>そういった意味では両者に差はないのではないかということです。
ゴマフ犬さんのご見解に異議はありません。
当然、ある1つの出来事にはその出来事の長さに関係なく始点と終点が存在しますし、進行中であれば「今」が終点です。また、複数の出来事であっても、それが一連の流れとして進行、ないしは記憶されていれば、同じく始点と終点は存在するはずですからね。
>ただ、店長さんのご返事を見ると、~
>概ね店長さんと同意見だと思います。
全くその通りです。
私が記事内で書いた「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」は、ゴマフ犬さんの仰る「(終点を定めないで)ただ振り返る」ケースを想定しています。「概ね同意見」で安心しました。
>ちなみに、少しうるさいことを言いますと、~(最後まで)
貴重なご意見、ありがとうございます。「少しうるさい」なんてとんでもないです(笑)
とても刺激になりました。
改めまして、今後とも宜しくお願いいたします。
若者は1日が50時間くらい感じる。
1週間・1ヶ月なんて1年かと思うくらい長く感じる。
若い時は一日も一週間も一ヶ月も一年も過ぎるのが遅かった。
瀬戸口清文さん
故人を偲ばれての「お名前」でしょうか。
ウィキペディア「瀬戸口清文」
同姓同名の方でしたらすみません。
私自身、幼少時「セトちゃん」に夢中だった世代ですので、お名前を見てハッといたしました。
コメントの内容も、過去をしみじみと振り返られるような文調でしたので、お若くして惜しまれつつこの世を去った「セトちゃん」の声を代弁されているようにも映りました。
改めて、年を取ると本当に時間が早く感じますね。